カンボジアの北西部にあり、第二の都市であるバッタンバン州でHIV/エイズに苦しむ人々の姿を追った。首都のプノンペンが近年目覚ましい発展を遂げるなか、地方のバッタンバンは大きな町といえどこの10年でさほどの変化は見られない。
1991年初めてカンボジアでHIV(ヒト免疫不全ウィルス)感染者が発見されてからわずか数年で感染者は爆発的に増えた。その数は現在13万人にも達する。HIVに感染すると免疫力が徐々に弱っていき、健康な人ならば感染しないような病原体による日和見感染や悪性腫瘍、神経障害など様々な病気にかかるようになる。そうした病気が発症した状態をエイズ(後天性免疫不全症候群)と呼ぶ。そして毎年、1万6千人がエイズによって亡くなっている。
敬虔な仏教国であるカンボジアでは、婚前の性的交渉を持つことははばかれる。そのため、性産業は寛大に男社会の中で受け入れられていた。そうした無秩序な性産業の繁栄が、HIVの感染を一気に広げた。
バッタンバンの中心街からバイクタクシーで15分ほど走ると、そこに十数件の売春宿が軒を連ねる小さな村がある。20歳になるチャン・スレイ・リーは売春を始めて1年ほどになるという。彼女には夫と子どもがいるが、今は家族と離れて暮らしている。この村で働く多くの売春婦が彼女と同じように、家族と離れてこの村で暮らし、そして家族や親に仕送りをしている。
ルームナンバー6、質素なベッドと棚が置かれた薄暗い部屋、それが彼女の仕事場であり、そして現在の住居でもある。昨晩は4人の客と相手をしたという彼女の表情は疲れきっていた。
床にはその時使ったコンドームの外袋が無造作に転がっている。彼女たちはカンボジア人の客に1ドル、旅行者には5ドルでその体を売る。月末になると、多くのカンボジア人が給料を握りしめてやってくる。
それでも、最近彼女の客はみなコンドームを着用してくれるという。彼女はそういって壁にかけられたコンドームをヨーロッパ製だとうれしそうに指差した。しかし、なかにはコンドームの装着を拒否する客もいると友達に聞いたと語った。その彼女の表情はどこか不安そうであった。
カンボジア政府は違法な売春宿の取り締まりを強化している。プノンペンでは多くが撤去された。しかしながら、その強化策は地方にまでは行き届いていないようである。バッタンバンでは、売春宿の経営者が警察の高官であったり、その親族であるといわれている。そのため違法な売春宿を取り締まる手をはばめている。
それでも近年カンボジア健康省、NGOの勧める「コンドーム100パーセント使用推進運動」により、売春婦から男性へのHIV感染率は大幅に減少した。その活動は着実にカンボジアの性産業界に根を下ろしているようだ。一方で、夫から妻、そして、母親から子供への感染率が高くなっている。そして、エイズ孤児の数が増加の一途をたどっている。
SCC(Salvation Centre Cambodia)は1994年にカンボジアの2人の大学生によって設立されたNGOである。HIV/エイズに関する地域住民への教育、そして患者への健康管理の指導、ホームケアサービスを目的とし、仏教寺院と連携しその活動を展開している。国民の90%が仏教徒であるカンボジアにおいて、僧侶が活動に参加する意味は非常に大きい。患者を勇気づけるだけでなく、地域住民の偏見の芽を摘む役割もまた担ってきた。
トゥン・チョムナンは自身もエイズ患者という立場ながら、SCCの理念に賛同し、その活動に自ら進んで参加してきた一人である。彼はコミュニティーのリーダーとして、エイズに蝕まれた体にむち打ち、地域住民の家々を回り、患者の健康維持と自立のサポートをしながら、その知識を広めている。
4年前、彼がHIVに感染したことを友人に告げると、みな冗談だと思い本気にしなかった。一方で村人は彼を隔離しろと騒いだ。それほど、HIV/エイズについて人々の知識は乏しく、患者は偏見の目で見られている。
「HIVの感染をこれ以上広げないためには、教育の普及とコンドームの着用を促すことが必要です。しかし、最も大切なことは妻や交際相手だけを愛することです」とトゥン・チョムナンは静かに語った。
彼は政府軍兵士として地方で警備をしていた時、売春行為により感染し、兵役を退き、家族の元に戻った。今回私が出会った患者のほとんどが女性であった。そして彼女たちの夫も家族の元を離れて地方に行っている時、売春行為によりHIVに感染した。男たちはしばらくして、原因不明の頭痛に悩み、体力の減退とともに仕事が継続できなくなり家族の元ヘと帰っていく。しかし、彼らは自分の病気がなんなのか分からず、夫婦間の性交渉によりHIVは妻へと移されていく。さらには、母親から赤ん坊へと移されていく。
カンボジアでのHIV感染率は近年減少傾向にある。その一方で夫から妻、母親から子どもへの感染率が上昇している。それにともなって、エイズ孤児も増加傾向にある。子ども達のケアが今後の課題である。カンボジアのエイズ孤児は2005年時点で、9万6千人を超えるといわれている。
ヘルスセンターで看護婦をしているニアリィ・ラスは午後からSCCのスタッフとともにエイズ患者を訪問診療している。そこで出会った患者の中に9歳になるチェット・タイはいた。
彼女が3歳の時に両親はエイズで亡くなった。それから6年が経過した今、彼女もまた血液検査の結果、エイズと診断された。5人の兄弟とともに親戚のいる村で暮らすが、学校に通うこともなく、 毎日、畑仕事を手伝っている。
エイズはそれまで幸せに暮らしていた家族を突然、不幸のどん底へと突き落とす
エムリアック・スマイ(35歳)は警察官として働いていた。家族は妻、16歳の長女、12歳の長男、それに3歳の次男である。タイ国境に隣接するポイペトに出張した時、HIVに感染した。ポイペトは売春宿が多く集まる場所として有名なところだ。
バッタンバンのリファラル病院の集中医療病棟で初めて彼に出会った。集中医療病棟と呼ぶにはあまりにも質素な部屋の片隅で、彼はエイズでやせ細った体を横たえていた。
HIVの進行を示すCD4値は63(健康な人の場合は800から1200)とエイズの末期で、結核も併発していた。病気は彼の体力を奪い、自分の力でなんとか手を少しだけ動かすのがやっとだった。左目は視力を失い、エイズ脳障害により話すことさえできなかった。泊まり込みで看病をしていた妻のチャン・トゥーンと姉のマウの表情は疲れきっていた。
私が彼らに出会ってからしばらくして、エムリアック・スマイは自宅療養を勧められ、家に帰った。末期のエイズ患者は自宅に帰され、家族とともに最後のときを迎えることになる。
彼らの暮らしている村には水道がなく、電気も夕方6時から夜10時までしか通っていない。生活用水は瓶にためた雨水であり、もちろんその水は清潔とはいえない。こうした状況はカンボジアではめずらしいことではない。しかしながら、このような環境で健康を維持することは困難なように思われる。HIVは人体の免疫力を低下させるものであるため、治療には清潔な環境で健康を維持することが求められる。
私が彼らと生活を共にして一週間が過ぎようとしていた時、それは、突然の告白であった。子ども達が寝静まった後、チャン・トゥーンは静かに語り始めた。
「実は私もHIVに感染しているの。3歳のシン・リーは2度検査を受けたけど大丈夫だった。私も夫と同じようになるだろうか。今は頭痛がするけど、夫の治療費が大変だからあまり薬は飲んでないの。」
そう語るチャン・トゥーンの表情には確かな不安が広がっていた。それは病気に対する恐れというよりも、子ども達を後に残して逝ってしまうかもしれないという不安であった。夫の看病、そしていずれ訪れる夫の死、その先には自らも同じ道をたどるかも知れない運命を背負っていた。
薬剤耐性を持ったHIVに対する懸念が今後の最重要課題となる
HIVは急速にその性質を変異させるという特性上、有効なワクチンを作るのが非常に困難である。そればかりか、薬に対する適応能力も高い。現在では、薬剤耐性を持つHIVの発生を抑え、治療効果を上げるため複数の薬をあわせて服用する多剤併用療法(カクテル療法)が主流となっている。決められた量の薬を定められた時間に服用することに重点が置かれ、薬の効果を確認しながら治療は進められていく。
こうして先進国ではHIVは糖尿病などと同じように、長く付き合っていく病気と見なされるようになった。しかしながら、途上国ではまだそのようにはいかない。
「我々はすべての治療を必要とするHIV/エイズ患者に治療薬を提供することを目標にしている」と健康省のバッタンバン州エイズオフィスで働くソウ医師は語った。カンボジア全土でHIVの増殖を抑えるARV(アンチレトロウィルス)治療を受けている人はおよそ2万人、バッタンバンでは1200人に上る。しかしそれは治療を必要とする人々のうちのほんの一握りに過ぎない。バッタンバンでホームケアサービスを行っているNGOの調査によると、HIV/エイズの患者数は3千人に達するという。しかし、その数は1万人に上るのではないかとの見方もある。
「今後は農村地区に住む患者に薬の正しい服用の仕方、その役割を訴えていくことが重要です。なぜならば、彼らは治療よりも、生活するために働くことを選択します。体調が少しでも良くなれば、薬のことなど忘れてしまう。だから、NGOやホームケアのサービスを行っているボランティア団体に対して、積極的なトレーニングを行い、その活動を支援していくことが重要なのです。もしも、我々が薬剤耐性に対する注意を怠ったなら、近い将来、薬そのものを提供できなくなるかも知れない。なぜならば、耐性HIVにかかる治療費は高額で、それをまかなう力が我々にはないからです」、そう語るソウ医師の顔には強い覚悟の色が浮かんでいた。
現在カンボジアでARV治療を受けている患者の5%が、この耐性HIVウィルスを持った患者にあたる。
それでも力強く生き抜く人々
ことばに埋め込まれたイメージは時に私たちに大きな誤解を生じさせる。例えば、カンボジア、エイズ、この二つの言葉から連想されるイメージは貧困、絶望などであろう。もっと想像を膨らませるならば、病気に朽ち果てたやせ細った患者、ただ死を待つだけの人々の姿が思い浮かぶだろうか。
確かにそうした連想は間違いとはいえない。
私の中でも確かにそのイメージが先行していた。エイズに苦しみ、ただ死を待つ人々の儚さ、支える周りの人間の必死の戦いがひとつのテーマとして浮かんでいた。
しかしながら、ファインダーの中なの人々は病気には冒されていたが、強く希望を持ち、今を生きようとしていた。生きる希望を捨ててはいなかった。
エム・リアック・スマイはもうろうとする意識の中で、異邦者である私をするどく観察するような視線を送った。しかし、私が体をマッサージし、そしてその手を取ると、力なくではあったが握り返してきた。話すことの出来ないその口でうめくように、何かを訴えようとした。
チェット・タイはまるで優等生のようにエイズ手帳とARV薬をニアリィ・ラスに見せ、彼女の話に真剣に聞き入っていた。
一人の老婆はそのやせ細った手で私の手を強く握りしめ、思いのたけを語った。SCCの教育プログラムに参加していた患者達は、私に世界のエイズの現状について質問攻めにした。
彼らの目は、いずれ訪れる死に対するなにか覚悟のようなものを感じさせたが、まっすぐ、ただまっすぐ前だけを見ているようだった。(2006年)
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