沖縄戦で亡くなった戦没者の遺骨を含む可能性のある土砂が新たな基地建設に使われるかもしれない
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表で40年近く遺骨収集を続けてきた具志堅隆松さんに戦没者の遺骨収集をしている現場に案内してもらった。そこは集落の拝所に向かう道を通り森の中を5分ほど歩いた所であった。
「このあたりからもだいぶ出しました」、切り立つ崖の手前で突然歩みを止め具志堅さんはそう言った。それから数歩進み斜面の窪地に座り込み、なでるように地表を探った。そして「これ遺骨ですよ」と土色に変色した小さな破片を手渡された。次に渡された琉球石灰岩の破片と比べると遺骨の方は軽く、触れてみて初めて違いを知ることができた。
(写真の左が琉球石灰岩で右側のふたつが遺骨)
その後2、3歳児の乳歯も発見された。こちらも変色はしているがエナメル質の表面が艶やかに光っていた。76年もの時を経て風化し、人知れず土にかえろうとしていた、もの言わぬ小さな証言者は私たちにこの場で起きた悲劇を強烈に突きつけた。
「住民の遺骨が壕の外に出ているというのは、やっぱり中に入りたかったんですかね」、と具志堅さんはうつむき加減でその小さな遺骨に思いを馳せた。戦禍を逃れてきた子連れの家族が壕にも入れてもらえず、恐怖の中、殺されていった当時の様子をそれらは強く訴えているようだった。
日本軍は住民を守らなかったという話を何度も戦争体験者から聞いた。命からがら逃げてきた家族を日本兵は銃を突きつけ、幼子は壕に入るなと追い出した。母親は仕方なく長男と次男を壕に残し、3歳と9ヶ月の子供を連れて外に置いてきた。以来二人の消息は分からず今日に至っているという話を当事者の長男の方から聞いた。具志堅さんが見つけた遺骨もそうした家族だったのかもしれない。
壕の入り口付近にはアメリカ軍の手榴弾のピンもあった。それは手榴弾を壕内に投げ入れた当時の戦闘の様子を物語っていた。その他にも薬きょうや徹甲弾などもその場所では見つかっている。それらは生々しく私たちに戦争の現実を今に伝えるものである。
今後こうした場所が掘り起こされ、戦没者の遺骨を含む可能性のある土が新たな戦争の訓練をする基地建設のために使われるかもしれない。
沖縄県名護市辺野古・大浦湾で日本政府は米軍の新基地建設のため、海の埋め立て工事を推し進めている。そこは保護するべき世界で最も重要な海域である「ホープスポット」に国内で初めて選ばれた貴重な海だ。ここでは5806種の生物が確認され、そのうち262種もが絶滅危惧種に指定されている。そして世界でも類を見ないアオサンゴの群集や様々な種類の珊瑚が群生している。沖縄の言葉で「イノー」と呼ばれる珊瑚礁に囲まれた浅い海域にはジュゴンが好む海草藻場も広がっている。
昨年4月21日、コロナの蔓延により政府が同月7日に緊急事態宣言を初めて出し国中が大騒ぎとなっていたさなか、沖縄でも同月20日に県独自の緊急事態宣言を発表し対応に追われていた。その翌日、沖縄防衛局は公有水面埋立法に基づく設計変更申請書を沖縄県に提出した。埋め立て予定地の海底に軟弱な地盤が判明したことによる変更申請だ。
明らかにされた軟弱地盤は、海面下約90メートルの深さに達していた。専門家によるとマヨネーズ地盤と揶揄されるほどの固さしかなく、その上に構造物を置くと自重で沈んでいってしまうという。この軟弱地盤を改良する工事が今回の設計変更申請書に盛り込まれたのだが、そのため工期は当初の5年から9年3ヶ月に延長され、工費も約2・7倍の約9300億円に膨らむことが明記された。沖縄県独自の試算では2兆5600億円に膨らむと推定している。
今回の設計変更の中で、埋め立てに使う土砂の採取場所も変更された。変更前は沖縄本島北部2カ所から3割弱、残りの7割以上を県外から調達するとなっていた。しかし、変更後は沖縄本島南部の糸満市と八重瀬町などが新たに追加され、沖縄県内だけで約4480万㎥もの土砂が調達可能と唐突に計上された。埋め立てに必要な土砂等の量は約2020万㎥と見積もられているので、実質、沖縄県内の土砂だけで埋め立てが可能となる。
沖縄県は2015年に自然環境を保全することを目的とした「公有水面埋立事業における埋立用材に係る外来生物の侵入防止に関する条例(県外土砂規制条例)」を施行した。県外から運ぶ千数百万㎥もの土砂に混入する小さな生物を取り除くには課題も多く、コストも時間もかかりすぎる。専門家からは現実的に不可能だとの声も上がっていた。そこで政府は沖縄県内から土砂を調達することでその問題を解決しようとしたのだろう。しかし、戦没者の遺骨をどうするかという問題が置き去りにされていた。
沖縄は太平洋戦争の時に唯一地上戦が行われた地である。この時日米合わせて20万人を超す人が亡くなったと推計され、沖縄県民の4人に1人が犠牲になったといわれている。そして残存日本兵3万人と10万人の住民が南部に追い詰められ、そこで多大な犠牲者を出した。
公益財団法人沖縄県平和祈念財団の戦没者遺骨収集情報センターによると収集対象18万8136柱中2822柱が見つかっていないという。(2021年3月26日現在)そして2019年度に収骨された遺骨は59柱にのぼり、うち糸満市で38柱、八重瀬町で1柱と今回国が追加した土砂採掘地域での発見が7割近くを占める。多くの戦没者の遺骨がいまだに南部には数多く眠っている。
国の計画を受け、今年3月、糸満市米須地区の緑地帯の鉱山開発届けが沖縄県に提出された。そこは日本で唯一の戦跡国定公園に指定されている場所に含まれ、付近には戦後生き延びた住民らによって散乱した遺骨が収集され、3万5千柱にものぼる遺骨が収納された「魂魄の塔」や各県の慰霊塔がある。そのような場所で事業者は最大30メートルから10メートルも地面掘り下げ、10年近く採掘をする計画を立てた。さらに、その場所では昨年具志堅さんらが戦没者と思われる遺骨を発見していた。
計画を知った具志堅さんは遺骨を含む可能性のある土を新基地建設の埋め立てに使うことは人道的な問題であり、戦没者への冒涜だと怒りの声をあげた。そして同じ3月、沖縄県議会に、知事は業者に対して開発中止命令を出すこと、そして南部地区の未開発緑地帯での土砂・石材の採取を禁止する条例の制定を求める陳情書を出した。さらに沖縄防衛局にも南部の土砂を使うことを断念するよう陳情に足を運んだが、「まだ決まったことではない」と的を射た回答が得られなかったため、この問題を広く知ってもらおうと沖縄県庁前広場で6日間のハンガーストライキを行った。中止を求める署名はわずか3週間ほどで4万筆に達した。
4月に入り県議会は現場視察調査と事業者と具志堅さん双方の参考人招致を行った。事業者は遺骨の混じっている可能性のある表土を取り、その下の層を採取するので遺骨の混入は100%ないと断言した。さらに、知事・副知事を人権侵害であり営業妨害だと強く糾弾した。
一方具志堅さんは遺骨の混入に関しては、琉球石灰岩層の特性から100%除去することは物理的に不可能であること、また専門家でない業者が目視だけで遺骨を取り除くことは技術的にも無理であることを指摘した。さらに業者が重機で作業をした時に遺骨や遺品が混ざり、個人を特定することができなくなってしまうことも指摘した。そして、戦没者の血の染み込んだ土砂を使うことはそもそも人道的問題であると強調した。その後、沖縄県議会は与野党の垣根を越えて全会一致で具志堅さんの意見書を採択した。
知事は自然公園法第33条2項に基づき業者に対して開発の禁止、または制限、必要な措置を執ることができるが、その期限は届け出の受理から30日以内に限られる。その最終日の4月16日、県庁前広場で具志堅さんは玉城デニー知事に「デニーさん、ちかいやびーらや!たしきてぃくみそーりょー(聞こえますよね、助けてください)」と戦争当時アメリカ軍の攻撃で生き埋めになった人の声を代弁してそう訴えた。
しかし、その直後に行われた記者会見で知事は事業の中止を言い渡すことなく、措置命令の判断を下した。「県が最大限とりうる行政行為で、これまでにない異例の判断」であると強調したが、業者に対して出された措置命令の内容は遺骨の有無について関係機関と連携して確認し、遺骨の収集に支障が生じないようにすることや、戦跡公園としての風景へ影響を与えないよう必要に応じて植栽等の措置を講じることなどで、実質業者は翌日にも開発を進めることができる内容にとどまるものだった。
デニー知事の会見の後、具志堅さんは「県は今まで一度も遺族の声を聞いたことはない。置き去りにされた感じがした」と無念の表情を隠すことはできなかった。それでも国に計画を断念させるため、そしてより多くの人にこの問題を知ってもらうため、今後もハンガーストライキなどをやって訴えていくと決意を新たにした。
その後具志堅さんは国に直接訴えるため防衛省・厚生労働省交渉にも足を運んだ。質問事項のひとつで厚生労働省に「戦没者の血が染み込み、今も遺骨が混じっている沖縄県南部地区の土砂を軍事基地建設のための埋め立てに使うのは、戦没者を冒涜し、人間の心を失った行為である。戦没者の遺骨収集に責任を持つ厚生労働省として、南部地区を、辺野古新基地建設事業の埋め立て土砂採取の候補地から外すよう防衛局に申し入れするべきではないか」という質問を投げかけた。
それに対し厚生労働省の担当者は「普天間飛行場代替施設建設事業に関しては厚生労働省としてはコメントを差し控えさせていただきたいと思います」と回答した。
具志堅さんはその回答に対して、「厚生労働省は戦没者の遺骨収集をしなければいけない立場である。そして戦没者の遺骨のDNA鑑定をやって家族に返すことが国家事業となっているにも関わらず防衛省は遺骨がある南部から埋め立て土砂を採取しようとしている。そのことは厚生労働省がやろうとしていることと真逆のことを防衛省はやろうとしている。それに対してストップをかけてくれという、そのことを言っているのに辺野古について厚生労働省として意見を控えますとかそんなこと聞いてないですよ」と追及した。
しかし厚生労働省の担当者は「防衛省の事業に対しまして厚生労働省としてはコメントを差し控えさせていただきます」と同じ回答に終始した。一方防衛省の担当者は「土砂の調達先は工事の実施段階で選定されるものであり現時点確定していない」と採取場所について明言を避けた。
2016年、戦没者遺骨推進法が成立し、初めて戦没者の収容が「国の債務」として位置づけられた。そして、基本計画を厚生労働省が担い、円滑かつ確実な実施を図るため、外務省、防衛省その他の関係行政機関との連携協力を図ることも盛り込み、2024年度までの9年間を集中実施期間とさだめた。
国家事業として戦没者の遺骨を遺族に返そうとしている国が、一方で収集の最も重要な場所のひとつを破壊し、なきものとしようとしている。その矛盾に国はきちんと答えなければならい。
具志堅さんが命がけでハンガーストライキまでして訴えた南部の遺骨を守ろうという声は世代や思想、国籍を超えて広がりをみせている。戦争によって亡くなった人たちの遺骨を、戦争の訓練をする新たな基地の土台として埋めることは決して許されることではない。
遺骨収集の現場で具志堅さんはいくつもの小さな白いかけらを遺骨と指摘した。それは広範囲に広がっているので歩くこともはばかれ、私は岩の上を渡るようにして移動した。そして具志堅さんが指差す先のかけらを注意深く撮影した。しかし、ファインダーの中のそれらを目視のみで周りの白い石のかけらと区別することはできなかった。
現場に立ち会い、遺骨の混入を防いで開発することがいかに困難なことかを思い知った。そもそも肉親を亡くした南部の地を祈りの場としている多くの遺族がいるのにも関わらず、新しい軍事基地を造るためにその場所に大きな穴を空けること自体があまりにも遺族の心を踏みにじる行為ではないだろうか。
「戦争で殺され、掘削業者に殺され、今度は辺野古の海に埋められ、3回殺されなければいけないのでしょうか。祖父は死んでこいって言われて、死んできました。間違いなく私の祖父は沖縄にいるのです」、そう遺族の女性が涙ながらに訴えた声が耳にこだまする。
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