米軍新基地建設現場に使われる土砂が搬出されている安和桟橋での抗議行動

 2017年4月25日、沖縄県名護市辺野古で米軍新基地建設のための護岸工事が開始された。当日、岸には白い布を敷いた長テーブルが用意され、日米関係者がそこに鎮座する様子はさながらセレモニーのようだった。そして関係者の合図とともにクレーンが動き出し、網の袋に砕石を詰めた根固材が浜辺に5袋だけ投入された。

 あれから4年が経過したが、埋め立て工事は政府が計画していた通りには決して進んでいない。防衛省によると今年3月末時点で海域に投入した土砂は約110万㎥という。計画全体で必要な土砂の量を2020万㎥と見積もっているので、5%ほどしか工事は進んでいないことになる。

 昨年4月には大浦湾側で軟弱地盤が見つかったことにより大規模な地盤改良の工事が必要になるため、沖縄県に提出された設計変更申請書では工期を5年から9年3カ月に延長した。それにともない工費も約9300億円と当初計画の2・7倍に膨らむことが明記された。沖縄県は独自の試算で2兆5600億円にものぼると推定している。

 まだ朝夕は肌寒い風が吹き抜ける4月の沖縄を訪れた。那覇から北上し恩納村に入ってしばらく車を走らせると埋め立て土砂を運搬船に積み込みが行われている安和桟橋のかかる海域が遠くに見えてくる。その時目を引いたのは運搬船の増加であった。政府が辺野古の埋め立てを加速させていることがうかがえるその光景に息を飲んだ。

 当初辺野古の海域には岩ずりと呼ばれる岩石を破砕した際に出る粒子の荒い砕石が使用される予定だった。識者によると県内で安定して岩ずりを供給するのは難しいのではないかという話があった。実際安和桟橋から搬出が始まった頃にはダンプの荷台の底が見えるほどにわずかばかりの量を積んで走行する様子も確認された。

 その頃運ばれていた岩ずりは見た目にもおよそ岩ずりと呼ぶにはあまりにも粗末なものだった。土木技術者の知人に案内してもらった岩ずりを山積みした工事現場で見たそれは、黒い石の山だった。しかし、ダンプに積まれていたものは素人目に見ても赤土まじりの土砂であった。沖縄には赤土が海に流出して環境を破壊しないように赤土等流出防止条例がある。明らかに現在辺野古に投入されている岩ずりは条例違反となるだろうが、業者は県の立ち入り調査を許していない。石材と主張することで政府は条例逃れをしていると識者は指摘していた。

(写真上が別の現場の岩ずり、下が安和桟橋構内にストックされたもの)

 粗悪な材料を使うことで一定の供給量が確保されたからなのだろうか、国は運搬船も増やし、辺野古の埋め立て現場の海域には土砂をストックできる大型船まで導入した。沖縄県民に寄り添うと何度も繰り返しながら、一方で強硬に工事を進める政府の姿勢がここでも強烈に浮かび上がってきた。

 安和桟橋では4月5日から7日までの3日間、市民有志による阻止行動が行われていた。コロナ禍ということもあって現場に集まる市民は以前より減っていたが、それでも普段よりは多くの人が集まっていた。

 その場に座り込むでもなく、ダンプの前に立ちはだかるでもなく、桟橋の出入り口の前をただ歩行する、とてもシンプルな抗議行動だ。しかし、それだけでも確実に土砂の搬入を遅らせることができる。

 市民の抗議行動の成果により、桟橋構内にダンプが滞留する光景が幾度となく見られた。そうすると機動隊が歩道の通行の規制を開始する。その間市民の往来を一切禁止する。一般道の通行規制に対し抗議する市民の声を無視して、構内のダンプの滞留がおさまるまで規制は続けられた。

 それでも通常一日900台ほどのダンプが出入りするところ、3日間の平均で1日あたり約776台に抑えることができた。

 今回の行動の呼びかけ人であるあつまれ関東の代表は「3日間の行動でそれなりの効果は出た。人さえ増えれば工事は絶対遅らせられる。」と今後の抱負を語った。

 一方、安和桟橋ではカヌーによる抗議行動も週3日行われている。カヌーに乗り桟橋の下に入り、桟橋の側面に張りめぐらされているネットにロープを結びつける。それぞれ独自のやり方で網目にロープを括りつけていく。それぞれの個性が出るのだろう、それはまるで刺繍かなにかをしているようだった。

 運搬船は付近に小型船などがいると安全確保のため出港することができない。そこで海上保安官がロープをほどいてカヌーを拘束し、その場から離れたところに強制的に移動させるのだが、海上保安庁のボートが入れない桟橋の下では、隊員それぞれが泳いでカヌーの所まで行き、ロープをほどきにいくしかない。これにはかなりの時間を要する。以前はロープをナイフで切られたこともあったが、今はそのような暴力的なやり方はしてこないという。この日も船が出港するのを1時間ほど遅らせることができた。

 その日その日の成果は小さいかも知れないが、その積み重ねは確実に工事を遅らせてきた。もう基地はいらない、貴重な自然を守りたいという市民一人ひとりの強い意志が現場にはあふれていた。

(2021年5月5日記)

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